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占いの歴史

概要
占いを鑑定する人を占い師または占い鑑定師、易者などと呼ぶ。また、場合によって、「手相家」、「気学家」、「人相家」などとも呼ばれる。客からは先生と呼ばれることが多い。また「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昔から言われるように、占いは他の業界と違い、必ずしも当たらなくても通用する面もあることから、取りっぱぐれのない職種という意味で、占いを裏(外れ)が無いという意味で「裏無い」と軽蔑の意味を込めて書く場合もある。

占いの関係者の中には占いは「統計」によるものと説明する者もいるが、占いは独自の理論と個人の経験で構成されており、統計や統計学、科学としての研究からは由来してはおらずまったく異なるものである。 例えば占星術は古代においては天文学と関連したものであったが、天文学が自然科学として発展したため現在では全く関係が無い。またこれは風水においても同様で風水に地理の別名があるように、かって地理は社会科学の地理と地理による吉凶を占う地相術が渾然となったものであった。

実際、これまで占いには、科学的要素が入っていると言う説が提示されたことはあったが、はっきりとした科学的な根拠があると認められたことはない。それでも占いを信じる者は少なくない為、占いはしばしばビジネスとして扱われる。中には悪徳商法に利用する者までいるが、こうなると詐欺である。

占いの提供のされ方として、雑誌や本の他に、占い師が直接目の前で占う対面鑑定、電話で占う電話鑑定、チャットを利用したチャット鑑定等があるが、インターネット業界の進展により占いコンテンツとして提供されるケースが多くなっている。

占いは、その信憑性が科学的にはっきりとは証明されていないが不思議な効果を発揮することがある。例えば昭和の易聖とよばれた加藤大岳は野球クジを占って小額の購入に時は良く当てたという伝説が残っている。

占いは、大別すると命・卜・相(めい・ぼく・そう)の種類に分かれ、占う者は目的に応じて占いを使い分け、組み合わせる。また命・卜・相に医、山(肉体的および精神的なな鍛錬)を加えて五術ともいわれる。

■ 盟神探湯(くがたち)

古代日本で行われていた、ある人の是非・正邪を判断するための呪術的な裁判法(神判)である。探湯・誓湯とも言われます。その方法はとても怖いもので、裁かれる対象となる人物に、神に潔白などを誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせます。この時、正しい者は火傷しませんが、罪のある者は大火傷を負うとされました。
あらかじめ結果を神に示した上で行為を行い、その結果によって判断するということで、うけい(=古代日本で行われた占いのこと。宇気比、誓約、祈、誓と書きます。)の種類に当たります。

■ 太 占(ふとまに)

殷(いん)(中国の王朝/紀元前1600年頃 - 紀元前1046年)の時代に生まれた占いです。殷の人々は信心深く、殷朝は典型的な神権政治を執り、重要な意思決定は全て占いに基づいたそうです。
その占いに用いられたのが、亀の甲羅や牛や鹿の肩胛骨が主な道具で、珍しい物では鹿の角、人間の頭蓋骨の例もあるんだそうです。これらの骨・甲羅などの裏側にすり鉢状のくぼみをつけ、そのくぼみに燃え木もしくは、熱した青銅製金属棒など差し込みます。そして、表側に生じたひび割れの割れ目の形で占います。そして判断を甲骨に刻み付けた後、更に、占いに対しての結果も刻まれました。
日本では、5世紀から7世紀の間の大和時代にかけて、中国から太占を含め、様々なな占いが伝えられたと言われています。とりわけ奈良時代に入ってから、陰陽師が主に活用した方法で、亀の甲羅を焼いて同じように占う「亀卜(きぼく)」、「式占(しきせん)」奇門遁甲と言う占いがでてきました。

■ 陰陽寮(おんようりょう)

8世紀には大宝令(たいほうりょう)と言う法律で、占いのお役所の「陰陽寮」が設けられました。陰陽寮(おんみょうりょう)は、律令制において中務省に属する機関のひとつで、占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署のことを指します。
長官は陰陽頭で、陰陽道に基づく呪術を行う陰陽師がいました。さらに陰陽師を養成する陰陽博士、占星術を行使・教授する天文博士、暦の編纂・暦作成を教授する暦博士が設置されていたんだそうです。その下で学生・得業生が学び、漏刻博士は時計(漏刻)を管理して時報を行っていました。ちなみに・・・陰陽師で名高い、安倍晴明もこのうちの天文博士に任命されていたんだそうです。
天平宝字2年(758年)から8年まで「太史局」と改名されていた時期もあったそうなのですが、結局は陰陽寮の名に戻ったんだとか・・・。
尚、陰陽頭土御門晴栄を最後に、明治3年(1870年)に廃止されてしまいました。

■ 占い師の誕生

平安時代に入ってから、人相、地相、家相、夢占い、墨色、筮竹(ぜいちく)と算木(ざんぎ)を使った占いが盛んになりだしました。
鎌倉時代に入り、九星、墓相、剣相、字占、判占、水晶占い、粥占い、年占いなどが主流となったようです。そして室町時代には「足利学校(占いの学校みたいなもの)」が設立されました。江戸中期頃になってから、新井白蛾という有名な占い師や「易者」が生まれました。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ということわざの元になった占いです。
また、明治時代において、高島嘉右衛門が現在における高島暦を生みだしました。高島暦は現在においても占いで利用されています。

西洋占星術

ちなみに西洋占星術を例に挙げると、西洋占星術は、五千年前にバビロニアにおいて発祥したと言われています。紀元前2千年頃に天の星々と神々を結びつけることが行われ、天の徴が地上の出来事の前兆を示すという考えも生まれたんだそうです。『エヌーマ・アヌ・エンリル』(Enuma anu enlil, 紀元前1000年頃)はそうした前兆をまとめたものなんだそうですが・・・その当時、前兆と結び付けられていた出来事は、専ら君主や国家に関わる物事ばかりで、その読み取りも星位を描いて占うものではなく、星にこめた象徴的な意味(火星は軍神ネルガルに対応していたから凶兆とするなど)を読み取るものに過ぎなかったんだそうです。

現代にも引き継がれている星位図を描く占星術は、天文学が発達し、惑星の運行に関する知識が蓄積していった紀元前1千年紀半ば以降になって興ったそうです。その為、この頃も含め、古来、天文学と占星術の境界の曖昧な時代は長く続いてしまいました。元々は暦のために整備された獣帯(=太陽の見かけの通り道である黄道を、白羊宮から双魚宮までを12の領域に等分したものである十二宮のこと)を占星術と結び付けることも、そのころに行われたんだそうです。ちなみに・・・現存最古の星位図は、楔形文字の記録に残る紀元前410年の出生星位図(ある貴族の子弟の星位を描いたもの)なんだそうです。ただし、この時点では、後のホロスコープ占星術に見られる諸概念はほとんど現れていなかったんだそうです。その後、西洋占星術はメソポタミア、アッシリア、カルデアと伝承され発展してきました。

また現代に伝わる、占星術はアレキサンドリアの占星術師トレミーと言われています。彼は、紀元前二世紀頃に占星術を集成体系づけた人物です。その本は「テトラビブロス」。占星術のバイブルとされています。占星術の記述に関しては幅広く、語ると切りがないのですが・・・現在広まっている「星占い」はこれを基に研究されて広げられたものなんだそうです。

ちなみに・・・西洋占星術は、シルクロードを通り、東シナ海を渡り平安時代の日本にも伝わってきたのですが、菅原道真の反対で姿を消し、一部の陰陽師が家伝として伝えるのみになったがいつしか消えたという歴史もあるそうです。

 

 

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